ごあいさつ

               

坂本 智子 sakamoto tomoko

1982年生まれ 三重県伊勢市出身・神戸育ち

鍼灸師 助産師 あん摩マッサージ指圧師

 

 

プロフィール: 

 お伊勢参りで有名な伊勢市に産まれました。隣町の二見町(現・伊勢市)に母方の祖父母や叔母が住んでおり、両親が共働きでしたので、私は日中は祖父母の家で過ごしました。父の仕事の関係で、12歳までは全国転々と過ごし、小学校は3校通いました。愛知3年。横浜2年。小学校6年生から父方の祖母が住む神戸で同居を始めました。その次の年の1995.1.17阪神淡路大震災を経験。子どもながらに地震の瞬間の大きな揺れの恐怖と不安が大きく、しばらくは暗闇が怖くて今でも震えます。幸い家族は無事でしたが、多くの命が亡くなり、「生きる」「生かされる」ということの意味を考えました。

 中学の時、学校の課題で「職業インタビュー」というものがあり、ある職業について当事者にインタビューすることになりました。母の友人が助産師で、話を聞く機会があり、そこで初めて「助産師」という職業を知りました。話を聞いていると、助産師への興味も湧きましたが、「自分がオギャーとこの世に産まれた瞬間、初めて触れて受け止めてくれたのが、産んでくれた母ではなく助産師である」ということにものすごい衝撃というか感動というか、なんて素敵な職なんだ!と強く思いました。そして自分も助産師になるんだと決意が生まれました。もうひとつ助産師を目指すきっかけは「母子手帳」です。出生の記録に、立ち会った医師と助産師の名前があります。母子手帳は妊娠から産後までの記録です。ずっと名前が残ること、会ったことがないその助産師の方が私にとって憧れの人になりました。

 そこから将来の夢は助産師になること1本!高校の進路相談で「助産師になりたいから看護に進みます」と言ったときの担任の先生の驚きの表情は未だに忘れません(笑)「助産師になりたい」と言った生徒は初めてだったらしいです。しかも私の成績では理系は苦労するからと言われましたが、家族も先生も応援してくれてなんとか看護の道に進むことができました。(ほんとに苦労しました汗)

 看護短大卒業後、同級生のほとんどが看護師として就職するなか、大学へ編入し助産師と保健師の免許を取得しました。ここでも数々のドラマがありましたが、それは長くなるので省略します(^-^;

卒後、神戸に戻り3次救急指定病院へ就職。まさに命の現場で日々格闘する間に自分の限界と未熟さを痛感しました。学生時代は自然妊娠、自然分娩が中心でしたが、臨床には医療の手を必要とする妊産褥婦がこんなにもいるのかと愕然としました。この時疑問に思ったのです。なぜこんなにも医療が必要となったのか。医療を必要とする前の段階、予防医学が重要なのではないかと気づき始めました。妊娠出産は命がけです。妊娠するための体づくりや安産になるためには、本来持っている力を発揮するには心身ともに健康が一番だ!生活習慣や食習慣など生活の基礎となる部分から見直すべきではないかと思いはじめ、西洋医学だけでは限界がある。東洋医学も取り入れた医療が必要だと考え、鍼灸専門学校に進学しました。

 東洋医学を学んだ後、横浜で30年以上女性専門で開業している「せりえ鍼灸室」で2年間研修を積みました。その後松山に移住。

 

松山移住を決めた理由:

鍼灸学生時代に初めて香川県に住み、瀬戸内の温暖な気候や住みやすい環境が気に入り、いつか戻ってきたいと思っていました。

横浜では、鍼灸と助産の仕事を掛け持ち生活。夜勤もしながら、週に1日休みがあるかないかの不規則な生活。そのため体調を壊して入院手術を経験しました。かなり進行した子宮内膜症による卵巣嚢腫でした。病気になってはじめて健康のありがたさを知る。完全に仕事優先だった生活を改める必要があると感じ、思い切って生活環境とスタイルを変えることを決断。

以前何度か訪れたことがある松山に平成28年4月よりIターン移住。気功師の夫(鍼灸学校の同級生で長崎県佐世保市出身)と二人暮らし。

 

学歴:

看護師:京都市立看護短期大学看護学科(現:京都看護大学)卒 

助産師:岐阜大学医学部看護学科卒 

鍼灸あん摩マッサージ師:四国医療専門学校鍼灸マッサージ学科卒 

 

職歴:

神戸市立医療センター中央市民病院産科。NICUで2年半過ごしたあと、鍼灸学校進学のため退職

鍼灸学生時代、産科クリニックでアルバイト。

横浜研修時代も総合病院で助産師経験あり。

今までに取り上げた新生児:100人以上 初めて取り上げた子は珠のような女の子でした^^今でも鮮明に覚えています。